●自殺誘導
尊厳死のエントリーの書き足し。と思っていたら今朝タイムリーな記事を見つけたので紹介する。
呼吸器装着、施設間で大差 難病ALSで病院調査全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)の患者が呼吸困難になり、延命のために気管切開をして人工呼吸器を装着した割合は、ほぼ100%から10%未満まで病院間で大きな差があることが10日、共同通信が実施した全国調査で分かった。
余命を大きく左右する呼吸器装着の割合が、ケア体制の地域差や医師の説明方法に影響されている実態が浮かんだ。
一方、一度つけた呼吸器を患者が自らの意思で外す権利を容認する意見が約半数を占め、患者から取り外しを依頼された経験のある病院も19%あった。患者団体には「容認すれば、周囲の都合で死に追い込まれる恐れがある」と慎重論も強く、議論を呼びそうだ。
調査は今年1-2月、神経内科がある大学病院本院と国立病院機構など計183病院を対象に実施。78病院(43%)から有効回答を得た。
呼吸器をつければ数年以上の延命が可能だが、たん吸引などで24時間介護が必要になる。家族の負担が大きく、装着をためらう患者も多い。
(共同)
(2007年03月10日 16時50分)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007031001000445.html
尊厳死のエントリーで「ALSは進行性ですので人工呼吸器をつけないと言う選択をする人もいます。約7割の方が「つけない」選択をするようです。」と書いた。約7割と言う数字はうろ覚えでソースはないのだが、この記事を見るとかなりの人がつけないという選択をするのではないかと思う。
私の場合は受傷後のごたごたのうちに人工呼吸器をつけたのでゆっくり考える時間などなかったのだが、ALSの患者の場合は納得いくまで説明を聞き、情報を集め、熟慮する時間がある。その結果「つけない」と言う選択をする人が多いと言うことはどういうことだろうか。もし私が同じ状況にあればこう考える。
- 人工呼吸器をつければ家族の介護負担が格段に増える。これ以上家族に迷惑をかけたくない。
- 最終的に眼球すら動かすことのできない(意思表示のできない)状態になっても死を選択することができない。
上は今の私にも当てはまる。もし私があの時人工呼吸器をつけるかつけないかという選択をすることができたのであれば、おそらく「つけない」と言う選択をしたと思う。今でもそう思っている。家族の負担は想像以上に大きい。私の場合は主に親であるが、ALS患者の場合年齢的なことを考えるとおそらく介護の主力はは配偶者や子供だろう。配偶者や子供の人生を巻き込むなんて私だったら耐えられない。この問題の根本は、家族に頼らざるを得ない現在の制度だと思う。もし、家族にあまり負担をかけることなく、人工呼吸器をつけて生活できるような制度があればこの問題は解決されるはず。
(箇条書きの)下の問題は天国へのビザの言葉を借りれば
自分だったら、気が狂うのではないかと思います。その通りだと思う。なぜこのような問題が発生するかというと、尊厳死という制度がないからである。しかし、この状態になってしまうと、気が狂っても、気が狂っていることを表現する術もないのです。
早く死なせて欲しい、そう思ってもそれを伝えることもできません。
地獄ではないでしょうか。
記事中に
呼吸器をつければ数年以上の延命が可能とある。人工呼吸器をつけないと言う選択をした人はこの数年の人生(もし意思表示ができなくなった時に死を選ぶことができたとしてもそれまで数年はあるはず)を捨てたことになる。いや、上に書いたような介護制度や尊厳死の制度が無いがために捨てざるを得なかった、とも言えることができると思う。これは制度を作ってこなかった国が彼らを死なざるを得ない状況へ追い込んだ、つまり自殺へ誘導したといえるわけだ。
人工呼吸器をつけていても環境さえ整えばいろいろなことをすることができる。前も紹介したが人工呼吸器をつけた男性が大学院に来年度から通うことになったそうだし、外出や旅行だってすることができる。そして、いよいよ意思表示もできない状態になったときに自らの(事前の)意思によって死を選択できるような仕組みがあればいい。
制度が無いがために充実した生活が送れるであろう数年の人生を捨てて死ぬことを選ぶ人がいる。ちょっと問題だと思うのだが。

