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2007年3月18日

●誰が悪い

母親介護に疲れ承諾殺人 被告に有罪判決

 長年の介護の末に母親=当時(72)=を殺害したとして、承諾殺人の罪に問われた足利市板倉町、無職浜岡渡被告(41)の判決が十五日、宇都宮地裁栃木支部であり、林正宏裁判官は「命を奪うことは許されないが、十八年にもわたり一切の自己の生活を犠牲にし母親の介護を続けてきた」などとして、懲役三年、執行猶予三年(求刑懲役五年)の有罪判決を言い渡した。

 判決理由で、林裁判官は、浜岡被告が母親の介護で自らも心身ともに疲労困ぱいしていたと指摘。認知症が進み半身不随となった母親が施設を転々とするつらさを訴え、「死んでしまいたい」と繰り返したことから、「被告は母親の心情を思うあまり思い詰めて極端な行動に走ってしまった」と情状を認めた。

 判決によると、浜岡被告は、昨年十一月二日、足利市の渡良瀬川河川敷に止めたワゴン車内で、睡眠薬で眠らせた母親の首を絞めて殺害した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tcg/20070316/lcl_____tcg_____004.shtml


こんなこと書いたその日にこんな事書くのもなんですが・・・

41歳まで18年間と言うと23歳から・・・。おそらく人生で一番輝いているであろう時期なのに。本当に親孝行だったんだろうと思います。こういうの見ると何か・・・生きてるの辛くなるな

これって誰が悪いんだ?こういう人を救うのがセーフティーネットじゃないのか?それともこうやって介護が必要な状態になって、介護施設に入る財力の無い人は死ぬしかないのか?まさに現代版姥捨て山。

それでも社会保障費を削らないといけないって言うならせめて苦しまずにきれいな形で死ねる制度を作って欲しい。人間らしく生きることも許されず、死ぬことも許されない。拷問ですか?

それでも安倍はこんなこと言ってる

社会保障のコスト削減に「数値目標を」 首相指示
2007年03月16日23時34分

 安倍首相は16日、経済財政諮問会議で、社会保障分野のコスト削減策について「具体的な改革項目と数値目標を盛り込んでほしい」と、臨時議員として出席していた柳沢厚生労働相に指示した。

 社会保障は昨年の「骨太の方針」で、07年度からの5年間で国と地方を合わせ1.6兆円を削減する全体像が決まっている。だが、厚労省は診療報酬や薬価の見直しなど個々の政策について、削減金額を盛り込んだ具体案作りには慎重だった。

 これに対し、諮問会議の民間議員らは数値目標が伴わないと削減の実効性に欠けるなどと主張。柳沢厚労相も16日の会議で「諮問会議として参考試算として出したらどうか」などと容認する考えを示した。この日の会議で大田経済財政相も試算に必要なデータを厚労省が提供するよう求めた。
http://www.asahi.com/politics/update/0316/019.html


まだ減らしますか?私は安倍首相を支持してきました。憲法問題や外交に関しては。しかし、こんなことを言い続けるようでは支持し続けられるかわかりません。財政再建は確かに必要だと思うが・・・

●形成外科受診

週末くらいしかゆっくり書く時間がないのでまとめてアップしますが、この間の月曜日(12日)に近所の総合病院の形成外科を受診してきました。形成外科と言うと私の中では美容形成のイメージが強いんですが、実際は火傷やら事故や病気なんかで変形したり欠損してしまった組織の機能や形を元に戻したり、ってこともやっているようです。さて、今回は何で受診したかというと、気切孔を小さくできないかと言うことです。

説明すると長くなりそうなんですが、とりあえず私は人工呼吸器をつけているため気管切開、つまりのどに穴を開けてそこにカニューレという管を入れています。そうすると声帯に空気が通らなくなるので声を出すことができません。しかし、それでも声を出す方法は色々あって、そのひとつにスピーキングバルブってのを使う方法があります。詳しくはスピーキングバルブで声が戻ったってサイトがとてもわかりやすいので見てみてください。このサイトにもありますが、気切孔がでかいとその隙間から空気が漏れて上手く声を出すことができません。イメージ的には途中に穴の開いたホースってところですかね。この隙間がさほど大きくなければうまいこと目張りしてやればいいのですが、如何せん私の場合大きすぎるので何とかしたいと言うことで形成外科に相談することになったわけです。

簡単に済まそうと思ったのですが思ったより前置きが長くなりました。受診してとりあえずシリコンのようなもので穴をふさいでみようかと言うことで、方をとってもらってその日は終了。外科的に小さくすることも可能らしい。とりあえずシリコンで様子見と言うことで。しゃべると言うこと、これは結構重要なことだと思います。正直今の状態でも日常生活において困ることは殆どありません。ただ、『必要なことだけを伝える』事と、『日常会話ができる』と言うことは全然違います。これは実際になってみないとわからないでしょうが。

普通にしゃべれるようになるのに一歩前進ということで。

2007年3月17日

●宣伝

脊髄損傷 在宅リハビリDVD

 日本せきずい基金(東京)は、脊髄(せきずい)損傷者が自宅でできるリハビリ方法をまとめたDVDを作成した。希望者に無料で配布する。

 手足のまひを抱えた脊髄損傷者は退院後、体を動かさないでいると、関節が動きにくくなるなどして、寝たきりになる人もいる。

 そこで、せきずい基金は、運動機能を維持するためのリハビリを紹介するDVD「ステップbyステップ 脊損在宅リハガイド」(95分)を作った。

 立つためのリハビリ、歩行リハビリなど7章立て。年齢や障害レベルが違う脊髄損傷者6人が登場。車いすに座ったままでできるリハビリ方法などを、映像とナレーションで詳しく解説している。慶応大の里宇明元(りうめいげん)・リハビリテーション科教授が監修した。

 希望者は、日本せきずい基金(〒183・0034 東京都府中市住吉町4の17の16 (電)042・366・5153 ファクス042・314・2753 電子メール(jscf@jscf.org))へ。住所、氏名、電話番号を書いて申し込む。送料も無料。先着1000人。3月末到着分まで有効。
(2007年3月16日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070316ik0a.htm


宣伝です。私のところにも届きました。

2007年3月14日

●集約化すら無理

小児科・産科見送り 病院集約化 県、医療審で報告2007/03/14

 県は13日、静岡市内で開かれた県医療審議会(会長・岡田幹夫県医師会長)で、小児科・産科の病院勤務医の不足や偏在への対策として国が求めている病院診療機能の集約化について、県内ではいずれの診療科も実施しない方針を報告した。
 産科については「既に集約化を進めていて、さらに実施する状況にない」、小児科は「緊急措置としての集約化は不要あるいは不可能」が理由。ただ、小児科については「医療資源の重点化が必要な圏域もある」として、圏域内の機能分担や連携体制の検討を継続し、対応策を平成20年度からの県保健医療計画に反映させる。
 地域の特定の病院に医師を集中させるなどの診療機能の集約化・重点化は、国が医師偏在の当面の最も有効な方策として打ち出した。医師確保が困難な地域の中に、同規模あるいは診療科が重なる公立病院が隣接するケースがあるためで、各都道府県に対し、本年度末までに実施の適否を決定するよう求めている。
 県は小児科について県内8つの二次保健医療圏域ごとに検討した。小児科医が著しく不足している中東遠圏域は「集約化・重点化は必要」としながらも、「六公立病院のすべての市町の合意形成は極めて困難」とした。富士圏域は「集約化を行うと大学が医師派遣をやめる恐れがある」、西部圏域の北遠や賀茂圏域は「医療資源そのものが不足し、集約化は不可能」などとし、理由に県内各地で異なる地域事情を挙げた。産科は平成10年度に整備した県内三地域ごとの周産期医療システムを充実させる。課題に医師確保を挙げたほか、「常勤産科医が2人以下の公的医院は関係機関と検討が必要」とした。
http://www.shizushin.com/local_social/20070314000000000019.htm


六公立病院のすべての市町の合意形成は極めて困難

これが本音のような気がします。集約化すれば病院がなくなる自治体が出てきてしまうわけで、住民のは反発は必至であると。その気持ちもわからなくはないですが、東北地方みたいに冬場凍結した峠を越えて病院に行かなければいけないような状況とは訳が違うのではないかと。

http://sekison.org/weblog/2007/01/post_46.htmlでも書きましたが、そんな悠長なこと言ってられるのかと。もちろん集約化したところで問題の根本は何も解決しないと思うのですが・・・

どう思います?柳沢伯夫さん。

袋井市民病院
意思急募の表示が痛々しいですが

小児科外来では、平成19年2月から3月の間、県立こども病院の小児科医師も診療にあたり、診療体制が下記のとおり充実します。
こども病院からの派遣も今月いっぱいのようですが・・・

2007年3月11日

●自殺誘導

尊厳死のエントリーの書き足し。と思っていたら今朝タイムリーな記事を見つけたので紹介する。

呼吸器装着、施設間で大差 難病ALSで病院調査

 全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)の患者が呼吸困難になり、延命のために気管切開をして人工呼吸器を装着した割合は、ほぼ100%から10%未満まで病院間で大きな差があることが10日、共同通信が実施した全国調査で分かった。

 余命を大きく左右する呼吸器装着の割合が、ケア体制の地域差や医師の説明方法に影響されている実態が浮かんだ。

 一方、一度つけた呼吸器を患者が自らの意思で外す権利を容認する意見が約半数を占め、患者から取り外しを依頼された経験のある病院も19%あった。患者団体には「容認すれば、周囲の都合で死に追い込まれる恐れがある」と慎重論も強く、議論を呼びそうだ。

 調査は今年1-2月、神経内科がある大学病院本院と国立病院機構など計183病院を対象に実施。78病院(43%)から有効回答を得た。

 呼吸器をつければ数年以上の延命が可能だが、たん吸引などで24時間介護が必要になる。家族の負担が大きく、装着をためらう患者も多い。
(共同)
(2007年03月10日 16時50分)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007031001000445.html


尊厳死のエントリーで「ALSは進行性ですので人工呼吸器をつけないと言う選択をする人もいます。約7割の方が「つけない」選択をするようです。」と書いた。約7割と言う数字はうろ覚えでソースはないのだが、この記事を見るとかなりの人がつけないという選択をするのではないかと思う。

私の場合は受傷後のごたごたのうちに人工呼吸器をつけたのでゆっくり考える時間などなかったのだが、ALSの患者の場合は納得いくまで説明を聞き、情報を集め、熟慮する時間がある。その結果「つけない」と言う選択をする人が多いと言うことはどういうことだろうか。もし私が同じ状況にあればこう考える。

  • 人工呼吸器をつければ家族の介護負担が格段に増える。これ以上家族に迷惑をかけたくない。
  • 最終的に眼球すら動かすことのできない(意思表示のできない)状態になっても死を選択することができない。

上は今の私にも当てはまる。もし私があの時人工呼吸器をつけるかつけないかという選択をすることができたのであれば、おそらく「つけない」と言う選択をしたと思う。今でもそう思っている。家族の負担は想像以上に大きい。私の場合は主に親であるが、ALS患者の場合年齢的なことを考えるとおそらく介護の主力はは配偶者や子供だろう。配偶者や子供の人生を巻き込むなんて私だったら耐えられない。この問題の根本は、家族に頼らざるを得ない現在の制度だと思う。もし、家族にあまり負担をかけることなく、人工呼吸器をつけて生活できるような制度があればこの問題は解決されるはず。

(箇条書きの)下の問題は天国へのビザの言葉を借りれば

自分だったら、気が狂うのではないかと思います。

しかし、この状態になってしまうと、気が狂っても、気が狂っていることを表現する術もないのです。

早く死なせて欲しい、そう思ってもそれを伝えることもできません。

地獄ではないでしょうか。

その通りだと思う。なぜこのような問題が発生するかというと、尊厳死という制度がないからである。

記事中に

呼吸器をつければ数年以上の延命が可能
とある。人工呼吸器をつけないと言う選択をした人はこの数年の人生(もし意思表示ができなくなった時に死を選ぶことができたとしてもそれまで数年はあるはず)を捨てたことになる。いや、上に書いたような介護制度や尊厳死の制度が無いがために捨てざるを得なかった、とも言えることができると思う。これは制度を作ってこなかった国が彼らを死なざるを得ない状況へ追い込んだ、つまり自殺へ誘導したといえるわけだ。

人工呼吸器をつけていても環境さえ整えばいろいろなことをすることができる。前も紹介したが人工呼吸器をつけた男性が大学院に来年度から通うことになったそうだし、外出や旅行だってすることができる。そして、いよいよ意思表示もできない状態になったときに自らの(事前の)意思によって死を選択できるような仕組みがあればいい。

制度が無いがために充実した生活が送れるであろう数年の人生を捨てて死ぬことを選ぶ人がいる。ちょっと問題だと思うのだが。

2007年3月10日

●しゃかぽん

社会科がもっと楽しくなる小学生向け週刊誌「しゃかぽん」をいよいよ8日(木)に創刊します。身近なニュースから歴史の不思議まで、漫画キャラクターが社会のしくみをわかりやすく解き明かします。全50冊をそろえバインダー(別売り)にとじると、人物日本史、歴史パノラマ、経済、現代日本、国際社会など6冊の分野別百科事典が完成します。
http://opendoors.asahi.com/shakapon/index.shtml

ふむふむ。社会が楽しく学べるのはいいことだな。ところで発行元は・・・

朝日新聞社

なるほど。鉄は熱いうちに打てということですな。アカ顔の小学生を大量生産・・・冗談じゃない。

●何のための代議士か

まずはローカルな話から

袋井と掛川の市立病院統合構想:袋井市長が議会答弁、判断時期延期か /静岡

 袋井市の原田英之市長は8日、袋井市民病院と掛川市立総合病院の統合問題での市長判断について、「適切な時期に明らかにしたい」と述べた。市議会の一般質問に答えた。同市長は昨年の12月議会で、「今年度中に方向性を示したい」としていたが、判断の時期を遅らせることを示唆した

 両市の検討委員会は、ともに医師不足などを理由に両病院の統合を提言。袋井市議会の市民病院問題特別委員会は先月、統合案を支持したが、掛川市議会の広域行政問題特別委員会は7日、県や菊川、御前崎、袋井3市と森町を含めて協議を重ねるべきだとする意見をまとめた。

 戸塚進也・掛川市長は議会の意向を踏まえ4月中に考えを示すとしている。【舟津進】

毎日新聞 2007年3月9日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shizuoka/news/20070309ddlk22010197000c.html


袋井市民病院と掛川市立総合病院の統合の話は以前も書いた。集約化の流れの中で自然な流れかと。

・・・と思っていたらどうやら先送りするらしい。大事なことはとりあえず先送りと言うのは政治の世界では常套手段なのかもしれないが、そうしているうちに共倒れとなってしまっては洒落にもならない。そもそも医局人字春の陣に耐えられるのだろうか・・・

統合の形としては袋井の建物が老朽化していることもあり、掛川のほう(決して新しくはないが・・・)に吸収される形になるのではないかと個人的には読んでいるのだが、そうなると病院が遠くなる袋井市民にとっては不満で結果選挙に響くと考えた袋井市長が待ったをかけた。という構図が浮かぶのは私だけだろうか?

さてさて、ここで本題。掛川や袋井と言うのは衆院静岡3区、キカイダーこと柳沢伯夫厚労相の地元である。彼の発言は医師たちの怒りを買っているが(詳しくは天漢日乗参照)その地元が県内の医療崩壊の急先鋒を切っているというのはなんと言う皮肉だろうか。

地元の病院がやばいと知った地元民が起こす行動は彦根市の例を見てもわかるように署名運動であるが、いくら署名を集めて市長に提出したところで、一自治体の首長にできることはせいぜい雀の涙ほどの病院予算を烏の涙ほどにする程度である。こういうのってなんていうんだっけ・・・暖簾に腕押し、ぬかに釘、豆腐に鎹・・・ちょっと違うな。まあいいや。ともかく署名なんてたいして意味がない。本当に困っているなら一人1万出せば5万人で5億円である。この金で医師を招聘すれば話が早い・・・が、困っているが金は出さないと言うのがデフォルトである。署名するのはただなんだから。

ではどうすればいいか。医療崩壊は地方行政レベルでどうにかなる問題ではなく、国の医療行政の問題である。文句を言うなら国に言わなければいけない。しかし、厚生労働省に署名を届けたところで焼け石に水である(あ、思い出した。これだ。)ではどうすればいいか?そこで利用するのが国会議員である。そもそも小選挙区で選出される国会議員の役割のひとつは地元の声を国政に届けることである。つまり、署名を集めて市長に提出するのではなく、地元選出の国会議員に提出するなり、陳情すればよい。

そこで柳沢伯夫である。困っている掛川、袋井市民よ柳沢伯夫事務所に行って不安をぶつけるのだ。厚労相と言えど一国会議員であり、落選すればただの人である。地元の声は無視できまい。ということで連絡先である。

柳沢はくお後援会磐田地区事務所 (代)0538-36-0193静岡県磐田市中泉543-6
柳沢はくお後援会磐田地区事務所 (FAX)0538-37-3281静岡県磐田市中泉543-6
柳沢はくお後援会掛川地区事務所0537-22-1304静岡県掛川市中央1丁目13-11

柳沢はくお後援会掛川地区事務所
0537-22-4456静岡県掛川市中央1丁目13-11
柳沢はくお後援会本部事務所 (FAX)0538-43-6155静岡県袋井市久能1748-1
柳沢はくお後援会本部事務所 (代)0538-43-6685静岡県袋井市久能1748-1

と障害者が九州の片田舎の病院で(一応掛川市民)書いてるこんな超過疎ブログで主張したところで異味があるのだろうか・・・。イマドキの政治家ならウェブサイトのひとつでも用意しておいて欲しいもんだ。そうすればメールのひとつでも打てるんだが。こうなったらTB乱射するか・・・いや、恥ずかしいからやめとく。

2007年3月 8日

●尊厳死

生きている脳(天国へのビザ)経由で知った記事です。

延命中止に判断基準 尊厳死協会試案 病態ごとに明示

 尊厳死の法制化を目指す日本尊厳死協会(理事長・井形昭弘名古屋学芸大学長)東海支部の研究班は、延命措置を止める際の医学的判断基準を盛り込んだ試案をまとめた。複数の医者の意見一致など3条件を前提に、がん、筋委縮性側索硬化症(ALS)、高齢者、救急医療などの病態ごとに、「不治」「末期」の状態を定義付けしたうえで、それぞれの中止条件を示した。

 同支部は10日の常任理事会で承認が得られれば、試案を終末期医療の指針づくりを進める厚生労働省に文書で提出する方針。これを題材に法制化議論の活発化を期待しているが、意識が鮮明なまま全身が動かなくなるALS患者についても中止条件を定めたことで、安易に死が選択されかねず、議論を呼びそうだ。

 試案ではまず「尊厳死」を「自らの傷病が不治かつ末期に至った時、健全な判断の下での自己決定により、いたずらに死期を引き延ばす延命措置を断り、自然死を受け入れる死に方」と定義。一般的な延命措置の不開始・中止の条件として(1)患者本人の意思表示がある(2)複数の医師の意見一致(3)尊厳ある生の確保と苦痛の除去が目的-とした。

 さらに、がん、呼吸不全、心不全、腎不全、持続的植物状態、ALS、高齢者(脳血管障害など)、救急医療などに分けて「不治」「末期」の状態を定義した。

 例えば、がんの場合は「化学療法や放射線療法などの効果が全くなく、腫瘍(しゅよう)の増大に歯止めがかからない」を不治、「苦痛を和らげるための処置が中心」を末期と設定。そのうえで、薬剤投与で有害な反応だけが明らかになった場合などを延命措置中止の条件に挙げた。

 ただALSの場合は、現時点で根本的な治療法がないため診断時点では不治としたが、末期についてはさまざまな見解があることから「患者自身が判断すべき問題」として定義を回避した。中止の条件については「自発呼吸がゼロと判明すれば人工呼吸器の取り外しが容認される」とした。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070307/mng_____sya_____000.shtml

ALSについては天国へのビザの方にも解説があるので詳しくは省きますが、おそらくこれまでの安楽死、尊厳死の適用条件には当てはまらないのではないかと思います。もちろんこれも試案の段階ですので法的な拘束力を持つものではありませんが、一歩進んだと言えそうです。

ALSと高位の脊髄損傷の大きな違いは進行性であるかないかと言う事ではないかと思います。ALSの場合は最終的には眼球さえも動かすことができなくなると思いましたが、それでも意識は鮮明にあるようで、苦痛以外の何物でもないと思います。どこかで見た記憶がありますが、脳の血流を読み取り意思を伝える装置が開発中らしいですが、果たしてそこまでする必要があるのでしょうか?

先に書いたとおり、ALSは進行性ですので人工呼吸器をつけないと言う選択をする人もいます。約7割の方が「つけない」選択をするようです。「つけない」という選択(消極的安楽死)が許されて、「外す」と言う選択(積極的安楽死)が許されないと言うのはいまいち納得できませんが、そこは「作為」の有無の問題でしょうか。

「安易に死が選択されかねず」とありますが、確かに第三者が単に基準に照らし合わせて死を選択するのは「安易」であると言えますが、本人の意思で死を選択することは「安易」でしょうか?そこは本人の状態や自己決定権が死の選択まで及ぶのかといった法律上の問題にも関係してきますが、少なくとも「安易」ではないと思います。(考えがまとまらなかったので逃げました)しかしいずれにせよ意思表示できるうちに意思表示しておくことは必要かと。

さて、「自発呼吸がゼロと判明すれば人工呼吸器の取り外しが容認される」とありますが、ALSであると言う条件を無視すれば私にも当てはまっちゃいますが・・・まっ、関係ない話ということで。今のところ。

珍しくTB打ってみるか

2007年3月 6日

●臓器提供意思表示がネットでも

医学処で知りました。登録はこちらから。これなら署名の問題が解決できるか・・・と思ったら結局自筆署名が必要なようで。

それはともかく意思表示を義務化してもいいんじゃなでしょうか。提供しないと言う選択枝もあるわけですし。運転免許証と一体にするとか・・・