●教育機関か医師養成機関か
前回のエントリの関連
http://sekison.org/weblog/2006/11/post_30.html
大学の医学部医学科の存在について考えてみた。
このことを考えるきっかけになったニュースがある。
「高齢」で?群馬大医学部不合格、主婦の入学請求棄却筆記試験で合格者平均点を上回りながら、面接で高齢を理由に不合格にされたとして、群馬大医学部を受験した東京都目黒区、主婦佐藤薫さん(56)が同大を相手取り、入学許可を求めた行政訴訟の判決が27日、前橋地裁であった。
松丸伸一郎裁判長は「年齢により差別されたことが明白とは認められない」などと述べ、原告の請求を棄却した。
同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。
訴えによると、佐藤さんは同大医学部医学科の05年度の入試で不合格となったが、大学に得点を開示請求したところ、筆記試験のセンター試験と2次試験の合計点は合格者平均より10点以上高かった。
同大に電話で問い合わせた際、入学事務担当者から「個人的な見解」と前置きされた上で、年齢が理由と受け取れる説明を受けたと主張していた。
判決は「医学・医療に携わる人材としてふさわしい人格と適性があるかは、医療に携わってきた面接官の最終的な判断に委ねるのが適当で、裁判所の審理に適さない」とし、「面接の状況を認定する十分な証拠もない」と判断した。
佐藤さんは「残念の一言。今も医師になりたいという思いがある。1年4か月、判決を待っていたので、今後のことはこれから考えたい。控訴についても相談して決めたい」と述べた。
(2006年10月27日12時47分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061027i102.htm
ネット上では結構有名になったニュースで、議論も深まっている中で今さら、という部分もあるのだがやはり気になるのでひと言言いたい。別に今回の判決について、ということではない。
医師というのは社会的にどうしても必要な職業である。誰の言葉か忘れたのだが、教師、医師、軍隊(警察)を自国でまかなえない国は滅びるそうだ。その医師になるためには医師国家試験に受かる必要があるが、受験資格に学校教育法に基づく大学において、医学の正規の課程を修めて卒業すること(など)がある。医師になるには大学の医学部を出る事が必須条件であるわけだ。
話を戻すが、今回の佐藤さんの件だが、55歳の彼女がストレートに卒業できたとしてその時点で61歳。初期臨床研修が2年で63歳。その時点でもまだ新人の扱いだろうから、本格的に医師として働けるのはさらに数年掛かると思う。果たして体力、気力が持つのかということが心配されている。今回の群馬大の判断もこういったことがベースになっているのだと思う。
この考えは大学の医学部は医師養成機関であるという考えを前提に成り立っている。医師養成機関であるならば将来医師として満足に働ける可能性のないものには入学資格はない。といった理屈である。この前提の下ではいたって正論である。
しかし一方で大学の医学部は医学を学ぶ教育機関であるといった前提の下ではどうだろうか?教育を受ける権利は万人に補償されているし、群馬大学が国立大学である以上、ペーパーテストで合格者平均以上をとっている、つまり教育を受ける能力があると認められた以上、入学を拒否できる理由は何もない。
大学が学校教育法に基づいている以上、教育機関であると考えるのが普通であると思うが(防衛医科大学校や自治医科大学は別として)、医学部の場合は特殊な事情がある。簡単に言えば医学教育には金が掛かるのである。額についてはいろいろ言われているが、一人当たり数千万かかるというのが一般的なようだ(私立の帝京大学医学部の6年間の学費は約5000万である)。国公立大学の学費が6年間で約350万円と言われているから、その差額は税金である。将来医師になって社会に貢献するということを前提にこれだけの税金が投入されていると考える事もできる。この点が法科大学院などとは異なる点である。文化系の場合は基本的に掛かるのは人件費くらいなものである。大して学費はかからない。
なぜこんな事を考えたかというと、簡単に言えば私が医学部に行く大義名分があるか、ということをふと考えたからである。正直、仮に医師になれたとしても、今の現状では満足に働ける自信はない。関わった命に責任を持てる自信がないのだ。しかし、医学について学びたいという気持ちは今も強い。臨床医学は無理でも、基礎医学、社会医学の分野であれば何らかの活動は出来るかもしれない。
ただ、現在の医療の現状を考えたとき、ひとりでも多くの現場で働ける医師が必要とされてるということは明らかであるから、医学部の定員が定められている以上、余計な人間を入学させる余裕はないというのも正論であると思う。
と、いう事をふと思った

