●読後の感想
僕に死ぬ権利をくださいをOT(Occupational Therapy)の時間を使って読み終えた。実質3時間程度で読むことが出来たのだが、りーだぶるはなかなか優秀である。多少本が痛むので、図書館の本は読めないのだが…。
ここのところいろいろな事件が起きて、そのたびに記事を書こうかと思うんだが、なかなかまとまった文章を書く時間が取れないのが残念だ。リハビリで裏技を使う事で多少の発声が可能になったのだが、常時出せるレベルではない。これが可能になれば音声入力でもっと楽に文章を書くことが出来るのだが、そのためには構造的な欠点を解決する必要があり、なかなか厳しそうである。
さて、本についてだが、主人公のヴァンサンの気持ちは痛いほど分かるが、共感は出来ない。あまりネタバレするのもなんだが、彼は尊厳ある死を遂げるために3つのプランを用意した。プランA,B,Cである。
プランAはフランスの大統領であるシラクに安楽死をさせてくれるように請うのである。大統領には死刑囚をも特赦する事ができる権限がある。ならばその逆、つまり安楽死を認めることも出来るだろう、と言うヴァンサンの考えに基づくものである。冷静に考えればめちゃくちゃな論理ではあるが、当時安楽死を認める法律が無かったフランスにおいて(後の2005年に尊厳死法が可決)強力な権限をもつ大統領に頼るのも無理は無いかもしれない。しかし、この計画は失敗に終わる。法治国家において大統領とは言えども法律に反する事はできないのは当然である。
そこで彼はプランBを考える。当時欧州で安楽死が認められていた(2001年可決)のはオランダだけだそうで、オランダに行って安楽死をさせてもらう事を考えるのである。だが、これも断念する事になる。
最終手段であるプランCは彼の母親に手を下してもらうのである。結果的に9月26日に彼は死亡する。
…と、いった内容である。
おそらく、受傷前に読んだなら共感したと思う。実際、以前はもし障害者になったら死んだ方がマシだと思っていた。受傷後も時々鬱状態になったときはひどく落ち込むこともあるが、基本的には希望を持って生きているつもりだ。
ただ、単純に比較してはいけない。彼は聴覚と知覚以外のほぼすべての機能を失ったわけで、少なくても首から上の機能は正常で、食事も出来るし、こうやってパソコンも出来る私と比較してはいけないとは思う。
一般の人に私の気持ちを理解するのが難しいのと同じように、私にヴァンサンの気持ちを理解するのは難しいかもしれない。やはり賛否両論はあれど、安楽死・尊厳死の制度は必要になると思う。
安楽死については、横浜地裁が95年に東海大病院事件の判決で合法となりうる4要件を示した。
- 患者に絶えがたい激しい肉体的苦痛が存在していること
- 患者について死が避けられず、かつ、死期が迫っていること
- 積極的安楽死の場合には、患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替的手段がないこと
- 間接的安楽死の場合には、患者の推定的意思表示でも足りるが、積極的安楽死の場合には、それが行われる時点での、生命の短縮を承諾する患者の明示の意思があること
この4用件に照らし合わせると、私はどれにも該当しない。ヴァンサンの場合も2つ目は該当しないだろう。やはりこの4用件は現実に合致していない点が多いように思う。例えば1つ目だが、肉体的苦痛よりも精神的苦痛の方が辛いと言う事もあろう。2つ目に関してもヴァンサンのように、死期が迫っていないケースも多い。医療技術も発達して、人工呼吸器や栄養チューブのように長期間延命させる事も可能となった。このことは裏を返せば条件1の苦痛を長引かせるだけにもなりかねない。また、4番目についてはもし、意識がはっきりしているにもかかわらず意思表示する術の無い人のことも考える必要がある。その場合は生前意思(Living Will)を尊重すると言う手がある。ただ、注意が必要なのは、健常時と障害を負ったあと(病気なども含めて)の命に関する価値観が変わることもある。上に書いたように私自身が経験があるからだ。意思表示する術が無くなってから気が変わったとしても、もはや手遅れである。
何だか脈略の無い文章になってしまった。
いずれにせよ、安楽死の制度は必要であるのは間違いないだろう。だが、これが次第に拡大解釈され、医療費削減などの理由で寝たきりの高齢者や障害者に積極的に適用するような事があってはならない。例えば、強制的に意思表示をさせたり…などということが起こる事も考えられる。これは安楽死の皮をかぶった殺人である。これを一般化させてはいけないと思う。
…文章力が落ちたな。

